表出合宿について

表出合宿とは

最終日に揃った「書かれたもの」たち 
集まった人が、ある期間(3日〜7日程度)、自分にとってのなにかを言葉で書き、最終日に全員でそれを読み合う合宿です。

 ちなみに、「表出」という言葉は、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」の影響を受けて名付けられていて、表現という結果として現れたもの、の半歩手前。自分の中の言葉にならない何かが、言葉として表に出ていく過程に焦点が当たっています。そうして何かを書くことを、吉本隆明は「契機をつかむ」という言い方をしています。
 

特徴

期間中、本当に何をしていてもOK

初日の顔合わせと、最終日の読む時間に集まる以外は(ZOOMでの遠隔参加も可能)、どこでなにをしていても自由。こう言うと驚かれることもありますが、会場に居ても居なくても、仕事に行っても、友達と会っても、旅行に行っても、別のワークショップを開いても、とにかく本当になんでもOKです。2019年の春合宿では、ついに期間中に会場に宿泊した人はゼロでした(最終日に後泊した人が二名)。さらに、ZOOMでの遠隔参加によって、全く会場に来なくても参加可能になりました。

書き手にとって実り多い最終日の読む時間。

最終日には、一人に付き2時間程度ずつ、全員の文章を読み合います。「書いたものが必ず読まれる時間が来る」という必然的な締切は、書く推進力を高め、書くという体験の密度を濃くします。
 自分の書いた文章をじっくりと読み込み、評価ではなくその手触りや手応えを教えてもらう時間は、書き手としては何にも代えがたい豊かで贅沢な経験です。定員が少なめなのは、4人読むとしても休憩含めて10時間ほどかかるため、所要時間から逆算して人数を設定しているためです。

表出合宿の思想

書くという体験・書くという時間

ふつう、「書く」というのは、机やパソコンに向かって手を動かしているときのことを言います。でも本当は、どんなことを書くとしても自分が見たり聞いたり感じたり思ったりしたことを書くわけなので、書くことは手を動かす前の時間も含んでいます。それどころか自分にとって差し迫った大切なことを書こうとするときには、それが何なのか、何日もそのことを考えたり、思いを巡らせたり、メモをとったり、関連する本や資料を探したり見たり、それでも分からずに諦めたり、息抜きをしたり、疲れて寝てしまったり、夜中に突然目が覚めて何かひらめいたり、でもそれをメモせずに思い出せなかったり。という膨大な手を動かす前の時間があってようやく文字になります。
 
 表出合宿で「期間中何をしていてもいい」という意味は、そうした他人からみたら書いていないように見えて、実は当人にとって書くための大切な時間の過ごし方を、可能な限り自由で幅広いものにしておきたいからです。

孤独な時間を経て出揃う書かれたもの

書きたいものを書くための過ごし方を自分自身で決める、というのは当たり前のようでいて、とても孤独なことかもしれません。そういうとき、同じように合宿で書く時間を過ごしている人の存在が有り難かったりします。ときには嬉しくなりすぎて人が書いているのを邪魔したくなるくらい。

 そんな時間を経てそれぞれが文字にしてきたものが集まるというのは、それだけで奇跡のような出来事かもしれません。最終日に印刷された文章が並んでいくと、その時点でなんとも言えない贅沢さが漂います。書くための合宿で書かれたものが揃う、というのは普通のことにしか聞こえないですが、その普通が普通に実現すること自体が、実はすごく貴重なことなのだと毎回痛感します。

言葉がより豊かで面白くなる読み方

「書く」ことがとても広い領域を含んでいるのと同じように、「読む」ことの幅もまた広いものです。例えばそれは、「聞く」ときに何か考え事をしていたり、相手の間違いを探すように聞いたり、反対に、声にならない言葉の根っこまでを聞こうとしたり、全身で言葉の響きまで受け取るように聞くことができるのと似ています。

 何かを探して読み、評価や判断をした結果を伝えられると、書き手は正しさや優劣を意識せざるをえず、言葉の世界はより狭い範囲での純粋さを高めていきます。反対に、「読む」という体験の中で、自分に浮かんでくる感覚や感情を良いも悪いも正しいも間違いもなくつかまえ、それを言葉にしていくと、言葉の世界は善悪や正誤を含み、それを超えた豊かなものになっていきます。(「書く講座」精読講座の感想を参照)

 どちらの読み方も「読む」という体験には含まれていて、良し悪しはありません。日常的には何かを探して読むことがほとんどで、表現として完成度を高める最終的な段階ではより制度や純粋さを求める読み方も必要です。けれど、後者の方が「書く」ことや「読む」ことがより豊かに面白いものになると断言できます。

言葉の体力・筋力を鍛える合宿

この読み方を何度も繰り返すと、その豊かさの中で、自他の書き方や書かれたものの味わいの違いが鮮明になっていきます。自分の全力を込めた言葉を丁寧に読み込まれ、それを聞かせてもらうという体験が、書き手として稀有な体験であることはいうまでもく、「書く」という体験が大幅にアップデートされる、というといいすぎでしょうか。 

 ただし、この読み方はよほど意識をして行う必要があって、これを連続で何回も行うと終わる頃にはへとへとになります。「読む体力」や「読む筋力」が必要です。まさに合宿(それも体育会系の)。
 表出合宿は「書く」ことと「読む」ことがそれぞれの中で、それぞれの間で、幾重にも錯綜して織りなす豊かな時間の地平を用意しています。